おおさかぐらんま

大好きな旅と自転車とバイクのお話です

5本指ソックスの逆襲

私の夫は5本指ソックスの愛用者です。

洗濯は夫が脱いだままの状態で洗われるので、裏返って指部分は折りこまれています。

当然完全に乾かすためには干すときに、表に返し指の部分を引っ張りだします。

その時にいつも思うのです。

毎朝普通に5本指ソックスが履けるのを当たり前だと思うなよ、と。

誰が一本一本引っ張り出してると思てるねん、と。

まあこの年(6★)になると、他の事で恩を着せようと思うことはないし

たかがソックスなのですが。

それでふとある人の事を思い出しました。

趣味の世界で知り合いになった、ある有名企業のトップだったお方。

当時70代でセミリタイアされてたと思うのですが、

真顔で「最近嫁がご自分の事はご自分でなさってください!って言うんですよ、

今までそんな事言ったことなかったのに!」とおっしゃいます。

恐らく青天の霹靂だったのでしょう。

この年代で企業のトップにおられたという事は、多分仕事一筋。

家庭の事は奥様に任せておられたのでしょう、多分。

そして奥様も我ら一般人には想像できないご苦労もあったと思います。

5本指ソックスのレベルなんかではないでしょう。

しかし奥様はお孫さん達のお世話で西へ東へと大奔走される事となります。

そりゃ、旦那より孫ですよ、今までつくして頂いて良かったですね!

これからは自分の事は自分でしましょう!

とは人生の大先輩に言えませんでしたが、(いや言ったかもしれない)

当たり前ってないよな、有難いことなんだよな。

と、そんな事を思っていたら、

まあ5本指ソックスをひっくり返せる日々も有難いんかな、逆に。

と思った朝でした。

 

 

 

ねえさん、最近走ってますか?

「ねえさん、最近走ってますか?」

随分前に年下のバイカーに言われた言葉。

彼は以前あった近所のスーパーで働いており、

私がハーレーに乗ってるのを見て時々話しかけてきました。

何でも30代で子供は3人いるけど、コツコツお金を貯めてハーレーを買うのだと。

「あともう少しなんっすよ~」とか言ってたのが、とうとう買ったのでしょう。

それはねえさんほめたる!よう頑張った。

しかし、なんなんそのいきなり上から目線、ねえさん傷つくわ。

確かにその頃だんだんとハーレーに乗らない日々が続いていました。

でも、「この前こんなとこに行きました、今度はどことどことどこにいくんです!」

と彼がよだれをたらさんばかりに話すその場所は。。。

(へえ~、ねえさんその場所ならとお~に走ったわ、ぜ~んぶな!)

とはあまりに大人げなくて言えませんでしたが。

免許を取ったり、バイクを買ったりした後はもう乗りたくて乗りたくてたまりません。

誰かのブログを見て、こんな道を走りました!こんな物を食べました!とあれば

まさによだれをたらさんばかりに、おし、次はここに行こう!となります。

それはもう楽しくて楽しくて・・・・・・・・・家族の存在を忘れます。

私の夫は30代の頃、スキーにドはまりしていました。

仲間達と隔週で泊りのスキーにでかけます。

私もスキーはできるのですが、誘ってもくれないし、

意を決して行きたいと言えば、やれ車に乗れない、部屋がない、

挙句の果ては「お前と滑っても楽しくない」

世の中にこんな血も涙もない奴がおるのかと、当時は壮絶なケンカもしました。

が、私が40代になりバイクに乗り始めると、海外や九州、北海道へと数日間家をあけます。

あら、ごめんなさ~い、でもめっちゃ楽しいわ、ありがとうダーリン!となりました。

そして今、

夫はスキー仲間とも散りじりになり、今はネトフリとアマプラでベッドに苔がはえそうです。

誰かの言葉に「夫婦は常にどちらかが片思い」とうのがありましたが、それも40代までかなぁ?

50代になるとお互いに相手が機嫌よく過ごしてくれる事を願います。

そして60代、日々の小さな衝突もこれ以上言うと後が面倒くさい…

からの寸止めの技術が熟練の域に達してきます。

もちろんあくまで個人の見解ですし、これから先はどうなるかわかりませんが、

今は消息もわからないくだんのバイカー君も、元気でやってるかな?

ねえさんより

 

 

翼になったJAZZ

もう10年も前、1泊のバスツアーで蓼科のバラクライングリッシュガーデンに行った時のこと。

そのときは一人参加の男女別相部屋プランで行ってました。

多分一人部屋より5000円安かったからかな。

往路のバスは一人1席、お隣さんがいました。

彼女の名前は佳子さん(仮名)、当時私より7歳くらい上でした。

最初はぎこちない会話で始まりましたが、なんせ蓼科まで道のりは長い。

段々に打ち解けお互いの自己紹介が始まります。

そして私がバイクに乗ってる話をすると、「私も乗ってた!ホンダのJAZZ!」

美子さんは20代の頃、「とにかく!とにかく自由になりたかったの!」でJAZZを買ったそう。

何からそんなに自由になりたかったのかは、語ってくれませんでしたが、

期待どおりにJAZZは翼をくれたそうです、当時はヘルメットの着用も任意だったらしく

長い髪をなびかせて走る事は無情の喜びで、何事にも代えがたい時間だったそうです。

以前女性ライダーの集まりで誰かが「広げた翼はたためないのよ」と言ってました。

今の私の翼は電動自転車、イーグルからスズメの大きさに変わりましたが

一人で風を感じて走れる自由は変わりません、たとえ前かごにネギや大根がおってもね。

そして、5時過ぎに宿についたので6時半からの夕食には間があります。

飲みたい人なら先にお風呂に行くでしょう、当時は私も飲んでたので一人ならそうしてたかな。

しかし佳子さんは、「美味しい紅茶を持ってきたからティータイムにしましょう」

紅茶はティーバッグで、銘柄は忘れましたが、

びっくりするくらい美味しい紅茶でした。

そして翌朝、佳子さんは前髪にこだわりがあるらしく、

持参のドライヤーでくるくるくるくる、納得するまでセットされてました。

帰りのバスは一人2席、佳子さんとは席が離れてしまい、

何となく連絡先を聞くタイミングを逃してしまいました。

残念だけど、それも旅の醍醐味かな。

帰ってからお土産にもらった紅茶をのみながら

「バラクラのオーナーのケイ山田さんにあって写真を一緒に撮った!」

とまた嬉しそうな佳子さんと素敵な薔薇のガーデンを思い出し、

珈琲一辺倒だった私を、紅茶の世界に引き入れてくれた佳子さん。

車庫で眠ったままの、「絶対売らない!」

と言ってた魂のJAZZをもういちど蘇らせているでしょうか。

きっと今日も元気でこだわりの前髪をくるくるしてますよね。

 

 

 

 

 

 

 

セーラームーンはゼファーに乗って

あれは蒸し暑い梅雨の夜、夫と車で親戚の家に向かっていた時の事です。

国道を西に向かって走っていると、ふと前方に白い羽根が見えました。

よく見ると、メイドのコスプレの女の子がバイクの後部シートにいました。

ミニスカートの下には網タイツ、手にはウサギのぬいぐるい、背中には白い羽。

もちろんしっかりヘルメットはかぶっていますが、

私の世代には、どうしてもセーラームーンに見えてしまいます。

前で運転しているのもメイド風の女の子、スカートの下はショートパンツ。

すらりと伸びた白い脚に、ストライプのオーバーニーのソックス。

サラサラのロングヘアーを風になびかせています。

どちらも眩しく逞しい青春のオーラを放っています、そして可愛い、最強。

思わず窓を開けアイドルを見つけたかのごとく、何か叫びながら彼女たちに手を振ります。

車のライトだけでははっきりわかりませんでしたが、

多分あの鋼管フレームは、ネイキッドの立役者ZEPHEYR400

一体彼女たちは幾つくらいなんだろう、今から何処へ行くんだろう

笑いながら手を振り返してくれるセーラームーン達をみながら

学生なのかな?働いているのかな?

人生に”もし"はないというけれど

もし彼女達の年頃にバイクに乗っていたら、私の人生は全く違っていたんじゃなかろうか。

下妻物語になってたかしらん?

そんなことを思っていたらやがて交差点に近づき、

セーラームーン達を乗せたバイクは左にウインカーをだします。

全くぶれない走り方や、武骨なバイクの選択。

左手で軽く敬礼しながら走り去っていく、男前すぎるセーラームーンライダー。

私には夏の夜の夢物語でした。

 

 

ブランド坂

先日久しぶりに、神戸北野町異人館街を訪れました。

ここはNHKの番組「風見鶏の館」で一躍人気になった山手の観光地です。

明治の開港当時、急激に増えた来日外国人の居住地確保かつ、治外法権の土地を闇雲に増やさぬよう、北野の山手に向かって整備されたそうです。

当時の外国の方も海を眺め母国を思っていたのでしょうか。

とにかく山手なので三宮からタクシーで上まで上がり、下りながらあたりをスナップ撮影していると、

近くの住人であろう年配の女性が、荷物を手に坂を上りながら話しかけてこられました。

「こんな坂の上に住んだら生活はホンマ大変や、若いときは良かったけど、免許もとりあげられるしな…まあ家からの景色はいいけどな」

察するに古いお家のお方なのでしょう、確かに年々生活は不便になるでしょう。

んが、プライドは不便を凌駕する!と思った一日でした。

 

婿殿の夢

最近うちの婿殿の様子がおかしい。

婿殿は当時勤めていた会社を辞めて、うちの家業についてくれた。

それはとてもよくある話なのだけど、その辞めた会社が数年で上場し急成長してしまった。

そして婿殿が憧れる一等地のビルにオフィスを移された。

残ってた社員さんの中には株を売って退職し、〇千〇を手にした方もいるそうで。

婿殿にすれば逃がした魚が大きすぎて、感情の抑制が効かなくなってしまった。

婿殿の夢は大金持ちになって、いい車に乗り有り余る小遣いを持つことなんだそう。

なので家族で車で出掛けても、横をいい車が走ると突然に不機嫌になってしまうそうで。

中々女性には理解し難い感覚なのだけど、まあ30代男子の夢なのでしょう。

人の価値観はそれぞれなので、全くそれを否定も批判も致しません。

ただ、うちの家業でそれは何とも難しい、と思う。

とてもお願いしてきてもらったので、婿殿の人生を変えてしまった⁈

という罪悪感もあり、また娘の板を外してやりたいという思いもあり。

勧誘した我が夫はどんな思いなのだろう?とか。

冷蔵庫の冷凍室には皆で食べようと、ふるさと納税を利用して買ったちょっといいお肉。

このお肉どうしよう?見るたびに心にさざ波がたつ今日この頃。

 

 

 

 

終わりよければ

末娘夫婦の趣味に最近ポタリングが加わりました。

車に自転車を2台つんで行って留め置き、サイクリングロードを走るのだそう。

そして娘から送られてくる、夕焼けに向かって走っていく動画、青春か!

それで思い出したのは3月の初旬、朝10時に静岡県で開催される

ハーレーのセミナーにバイクで参加したこと。

朝3時に桂PAでエミさん(仮名)と待ち合わせ、新名神経由で向かいます。

あまりの寒さで指が麻痺するので連続1時間も走れません。

あの信楽あたりは心臓まで凍りそうな冷気でした(絶対タヌキも凍ってる)

ただセレブなエミさんは、ヒーター付きのベストと手袋なので

「え?寒いの?」極暖何とかなんて文明の利器には全くかないません。

こんなに寒いと思わなかった…やっぱグリップヒーターつければ良かった…

<暑さ寒さも彼岸まで>忘れてた…

とにかく休憩ごとに飲まないHOT缶コーヒーで、手を温めながら暗闇を進みました。

すると湾岸に入って、突然夜が明け始めコンビナートの一群が見え出しました。

そうだ、東に向かって走ってたんだ!頭も心も凍っててやっと気付く。

明け始めると早い早い、ホントにどんどん明けていく。

一体今まで何処を走っていたんだろうか?

薄い赤紫のような光の中に、突然浮かび上がる橋とコンビナート。

きっともう体験する事はできないだろう、身体の芯まで凍る寒さと共鳴する美しさ。

動画で残す事はできなかったけど、しっかりと刻み残されている記憶、ありがたや。

まあ休憩しすぎで10時には間に合わなかったし、まあ前泊すればよかったんだけど。

しかし翌朝のホテルの部屋からは赤富士が拝めたし、誰もいない朝のターンパイク箱根は最高だったし。

何事も終わりよければすべて良し!ということにします。

*写真*パリ郊外*